「叶っている場面に自分が居るっていう気分に浸れると、夢ってホントに叶うんだよね」
知人のこの言葉を聞いた時、そういえばと思い出したことがありました。
仙台の大学を目指していた高校三年生の私は、第一志望の大学の門をくぐって通う場面を想像し、それに浸ってはワクワクしていたのです。はたから見るとおかしな様子ですが、山形からお百度参りをするわけにもいかず夢心地になるのが精一杯でした。受験勉強以上に大変だったのは、落ちた場面を想像しない努力。ちょっとでも不安になったら本当に落ちてしまうような気がしたからです。不安を感じないようにするのは英単語を頭に詰め込むよりも至難の業。
でも、この努力が実ったことで味をしめ、何か新しい夢を持つとそれをフワフワと楽しむようになりました。事実、「夢」という字はベッドに横たわって夢心地でいる人間をあらわしています。雲の形のワクの中に想像することでもなく、実現するためにエネルギッシュに活動することでもありません。
実は、この文字ができた頃、夢というのは得体の知れない何者かがイタズラして人間に見させるものと信じられていました。この時代の人たちは夢に翻弄されていたのですね。今、夢を見ることは誰かに操られるのではなく、とても自由で自主的なもの。もし、あなたの中に「夢とは思い描くもの、実現するもの」この二通りあるとしたら、もうひとつ「浸るもの」を加えてみませんか? 何かが変わるかもしれません。
(2005/08/01 近代中小企業)
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